勝目氏庭園

更新日:2023年12月01日

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新緑の木々や茂みのある庭園の写真

飫肥城下の武家屋敷庭園を代表的する枯山水の庭である。30坪余りに滝や橋、蓬莱石、三尊石などに見立てた石組がみられ、宋の玉澗の山水画を模したといわれる「玉澗式」の庭園といわれている。
 一説には願成就寺第五世住持で、赤面法印と呼ばれた祐遍和尚(1650頃〜1627)の作と伝えられているが、様式的には江戸時代中期以後と考えられている。
 同庭園を含む屋敷地約1100平方メートルは、承応年間(1652〜1654)に鈴木猪右衛門、天保12年(1841)頃には藩医木脇隆敬が居住していた。天保城下図によると、前鶴通りには藩医の屋敷が多くみられる。
 昭和8年(1933)の指定当時は寺岡氏の所有であったので「寺岡氏庭園」と呼ばれていたが、その後所有者の変更により「勝目氏庭園」と呼ばれている。

勝目氏庭園の概要
項目 詳細
種類 庭園
文化財指定等 県指定
指定年月日 1933年12月5日
所在地(官報・文書等の記載) 日南市飫肥6丁目7番10号
所在(現地番、地図番号) 日南市飫肥6丁目3897
近隣集落・小字 飫肥
年代 近世
関連文化財群 飫肥城とその城下
保存活用区域内 飫肥城とその城下
出典 日南市指定文化財一覧