飫肥城跡(2)

更新日:2023年12月01日

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飫肥城は、中世には島津氏と伊東氏の抗争の舞台であり、近世には飫肥藩伊東家の居城として、日向を代表する城であった。
 飫肥城は、広渡川の上流である酒谷川が大きく蛇行した小盆地に突き出た丘陵上に築城されている。中心となる城域は東西約750メートル、南北約500メートルで、江戸時代の初めには本丸、松尾、中ノ城、今城、中ノ丸、西ノ丸、松ノ丸、北ノ丸など13の曲輪と犬馬場、御倉をもつ広大な城であった。その縄張りは、シラス台地を空堀で区切った壮大な規模のもので、各曲輪の独立性の高さが特徴となっている。
現在の石垣の大半は、貞享3年(1686)から元禄6年(1693)の大普請によって改修されたものである。

飫肥城跡の概要
項目 詳細
種類 遺跡・散布地
文化財指定等 未指定
指定年月日  
所在地(官報・文書等の記載) 大字楠原字舞鶴跡
近隣集落・小字 飫肥
年代 中世〜近世
関連文化財群 飫肥城とその城下
保存活用区域内 飫肥城とその城下
出典 S-310