願成就寺石垣並びに石段

更新日:2023年12月01日

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苔むした石垣と古い門へと続く石段の写真

 願成就寺は談義所とも呼ばれ、勢海法印を開山として天正16年(1588)頃、初代飫肥藩主伊東祐兵によって創建された。創建当初は飫肥城の北にあたる板敷の山腹にあって鬼門鎮護とされていた。
しかし、この地が不便であったため、現在地に移転された。承応年間(1652〜54)城下図によると、すでに現在地に記されていることから17世紀前半に移転されたと思われる。
当時は、真言宗寺院の飫肥領内本山であり、飫肥城下三大寺の一つとして藩から厚く処遇されていた。石垣並びに石段は、その格式の高さを忍ばせる。また境内の本堂・山門・キンモクセイも市文化財に指定されている。キンモクセイについては、宮崎の巨樹100選にも選ばれている。

願成就寺石垣並びに石段の概要
項目 詳細
種類 石垣
文化財指定等 市指定
指定年月日 1983年10月1日
所在地(官報・文書等の記載) 日南市今町1丁目5番35号
近隣集落・小字 今町
年代 近世
関連文化財群 飫肥城とその城下
保存活用区域内 飫肥城とその城下
出典 日南市指定文化財一覧
備考 天正16(1588)年頃、初代藩主伊東祐兵によって城の鬼門を守るために創建