伊東家累代墓地

更新日:2023年12月01日

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石畳の上に八基の塔が並んでいる様子の写真

伊東家累代墓地は、飫肥城下町を取り巻く酒谷川を西へ渡ったところの旧報恩寺(現在の五百祀神社)にある。墓地は庭園の奥に石垣で一段高く築かれている。
墓地内には、三位入道(伊東義祐)をはじめ、飫肥藩初代藩主伊東祐兵以下歴代藩主の墓がある。また、墓地内には、歴代藩主夫人の墓14基のほか、追腹(藩主の後追い切腹)した家臣の墓8基、伊東満所の母である「町の上」の墓と言い伝えられている墓などがある。周辺には伊東家に関わりの深い人々の墓が存在している。
墓地に隣接する敷地内には、平部_南の墓碑や明治の外交官小村寿太郎の墓碑なども存在している。

伊東家累代墓地の概要
項目 詳細
種類 石塔
文化財指定等 市指定
指定年月日 1991年8月1日
所在地(官報・文書等の記載) 日南市大字楠原字寺之脇4番地
近隣集落・小字 楠原
年代 近世
関連文化財群 飫肥城とその城下
保存活用区域内
出典 日南市の文化財
備考 近世墓碑分布表No.17旧報恩寺の跡地南岡の麓にあり。