振徳堂

江戸時代末期の天保2年(1831)、藩主・伊東祐相が従来の小規模な学問所を増改築したのが『振徳堂』である。この名は、中国の思想家・孟子の文から命名。
教授陣には、清武から安井滄洲、息軒父子を招き、本格的な藩校として開校した。
振徳堂からは、明治政府の文部権大丞となり、後の西南戦争で戦死した小倉処平と明治の外交官・小村寿太郎などの人物が輩出した。
昭和51年(1976)に飫肥城復元の第一号として、現在の姿に修復された。
項目 | 詳細 |
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種類 | 建造物 |
文化財指定等 | 市指定 |
指定年月日 | 1970年11月3日 |
所在地(官報・文書等の記載) | 日南市飫肥10丁目2番1号 |
近隣集落・小字 | 飫肥 |
年代 | 近世 |
関連文化財群 | 飫肥城とその城下 |
保存活用区域内 | 飫肥城とその城下 |
出典 | 日南市指定文化財一覧 伝統的建造物群保存地区リスト |
備考 | 伝建保存物件の振徳堂主屋 |
更新日:2023年12月01日