五百祀神社本殿

五百祀神社の前身となる旧報恩寺は、飫肥藩初代藩主伊東祐兵公(報恩公)のために建立された寺です。江戸時代には、飫肥三大寺の一つとして、寺禄百石の伊東家菩提寺でした。明治5年(1872)に廃仏毀釈によって廃寺となり、その跡地に五百祀神社が建てられました。本殿が完成したのは明治9年4月9日で、明治37年には弊殿及び渡殿を改築しています。
五百_神社の「五百祀」とは、伊東祐持が西_の都於郡に城を構えてから、最後の藩主伊東祐相まで535年経ていたため、500年祀るという意味で、祐相が名付けたと言われています。
現在は神社となっていますが、庭園は、旧報恩寺の庭園として作庭されたと考えられます。とりわけ、山の斜面に三連の石橋を架けるという意匠は珍しく、日本の庭園史上でも注目されています。この庭園は、大正時代に飫肥で活躍した庭師田嶋万之助が手を入れたと伝えられています。
平成22年9月10日には、本殿他4件が国の登録有形文化財となりました。
項目 | 詳細 |
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種類 | 建造物 |
文化財指定等 | 国登録有形文化財 |
指定年月日 | 2010年9月10日 |
所在地(官報・文書等の記載) | 日南市飫肥 |
近隣集落・小字 | 飫肥 |
年代 | 近世 |
関連文化財群 | 飫肥城とその城下 |
保存活用区域内 | 飫肥城とその城下 |
出典 | 日南市文化財 |
更新日:2023年12月01日