日南の偉人 小村寿太郎

更新日:2023年12月01日

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日本が生んだ明治外交の巨星 小村寿太郎

小村寿太郎(1855~1911年)の略歴

鼻の下にひげがあり、蝶ネクタイをした上半身の小村寿太郎の白黒写真

宮崎県日南市飫肥出身。
藩校振徳堂に学び、大学南校・現東京大学卒業後、文部省留学生として米国ハーバード大学に留学。帰国後司法省を経て外務省に入り翻訳局長、清国代理公使、外務次官を歴任しさらに、米、露、清の公使となる。

  • 1901年(46歳)、桂内閣の外務大臣に就任。
  • 1905年、首席全権大使として米国ポーツマス市で日露講和条約を結び日本に平和をもたらす。
  • 1908年(53歳)外務大臣に再任。
  • 1911年、米英独仏と、幕末以来の不平等条約を改正し関税自主権を回復。以後、わが国は諸外国と対等な国際関係になる。
    勲功により侯爵位を授けられる。同年、神奈川県葉山町にて永眠(56歳)。

小村寿太郎の青少年にむけてのスピーチ

蝶ネクタイとフロックコートを着用して立っている小村寿太郎像の写真

私が学生に望むことは「誠」である。
私が人よりすぐれたところがあるとは思わない、もし私に万が一長所があるとすればそれは「誠」の一字につきると思う。

国際交流

壁面両側には資料が展示されており、室内の中央に小村寿太郎の胸像が置かれている写真

現在、日南市では、小村侯の縁により、米国ニューハンプシャー州ポーツマス市と姉妹都市を結び、市民による友好親善交流や中高生のホームステイ等を行っています。吾田東小学校とニューフランクリン小学校、日南学園高校とポーツマス高校は姉妹校として交流を深めています。

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