日南の偉人 小村寿太郎
日本が生んだ明治外交の巨星 小村寿太郎
小村寿太郎(1855~1911年)の略歴

宮崎県日南市飫肥出身。
藩校振徳堂に学び、大学南校・現東京大学卒業後、文部省留学生として米国ハーバード大学に留学。帰国後司法省を経て外務省に入り翻訳局長、清国代理公使、外務次官を歴任しさらに、米、露、清の公使となる。
- 1901年(46歳)、桂内閣の外務大臣に就任。
- 1905年、首席全権大使として米国ポーツマス市で日露講和条約を結び日本に平和をもたらす。
- 1908年(53歳)外務大臣に再任。
- 1911年、米英独仏と、幕末以来の不平等条約を改正し関税自主権を回復。以後、わが国は諸外国と対等な国際関係になる。
勲功により侯爵位を授けられる。同年、神奈川県葉山町にて永眠(56歳)。
小村寿太郎の青少年にむけてのスピーチ

私が学生に望むことは「誠」である。
私が人よりすぐれたところがあるとは思わない、もし私に万が一長所があるとすればそれは「誠」の一字につきると思う。
国際交流

現在、日南市では、小村侯の縁により、米国ニューハンプシャー州ポーツマス市と姉妹都市を結び、市民による友好親善交流や中高生のホームステイ等を行っています。吾田東小学校とニューフランクリン小学校、日南学園高校とポーツマス高校は姉妹校として交流を深めています。
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更新日:2023年12月01日